2013年7月13日土曜日

いつまでもおなじままでいられないから・・・

両親と僕の三人で、お話をしながら京都を散策してきました。

あまり考えたくはないし、そんな話をしたくないのですが、僕は両親が死んだときのこと、親戚や近所に対してやらなければならないこと(小さい家でも家をつがねばなりませんから)、そして財産のことお金のこと土地のこと、そんなことを話しました。
僕の勝手な考えの押し付けかもしれませんが、両親はもう定年を越した年齢となり、決して先が長いとは言えない思っています。
そういう年にある人のやるべきことは精神的なところでの死への準備だと思っていて、そんな両親を持っている僕のような若い世代のやるべきことは親への孝行をいかに行って親に精神的な安堵と幸せを贈ることができるかだと思っています。
僕はそれがひとつの親子のコミュニケーションだと考えています。
いつまでも同じ幸せな日々を繰り返す家族、、、弟二人がいて、両親がいて、ばあちゃんがいる、ペットがいる、何気ない日常で喧嘩もしながらそれでも同じ食卓でご飯を食べる、そんな日々を過ごし続けられるならばこんなことをいう必要はないのです。
いつまでも同じ幸せなままでいられないから、僕らは準備をしなければいけない。
でもそれは、ネガティブなばかりじゃないよ、とうぜん。
これからの未来や明るいニュースも踏まえてさ、いかにあるべきかをお話した。
そして、僕が社会人となって一人ある程度ご飯を食べていけるようになって次第に染みわたるようにわかってくる父親の偉大さ、母親のありがたさ。
どんだけむかつく子どもであったか、それでも諦めず投げ出さずここまで育ててくれた、それでなおこうやってたまに顔を見に来てくれるありがたさ。
両親に深く感謝をしていることを伝えた。
なかなかそういうの言えなくてさ。

こうやって両親とあとどれだけの時間を過ごせるかわからない。
たとえぼくたちの人生の選択がたいてい絶望と諦めの「されどなお」でできているとしても、されどなお、僕はこうやってきっと喧嘩もするけれど両親と同じ時間を少しでも多く過ごしたいと思うのです。
一人で生まれたわけじゃない、一人で成長したわけじゃない、両親のおかげ。
幸せですね。

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